2009年東海道五十三次写真
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横浜駅を出て住宅街を抜けます。今日は平日なので登校中の小学生がたくさんいました。こんな大都会で育つってどんな感じなんでしょうね…私は登下校中に熊がでるようなとこでしたが。
もう30キロもありません。行こうと思えば一日で行ける距離。終わりがないような気がしていた、つくかつかないかもわからなかった終着点がそんな距離に有ります。いつになくのんびりした歩みというか…一歩一歩が愛しくってしかたない。
ところで、今歩いているのは15号線です。ずっと15号線です。1号線そういえば最近みていないなあ。最後にみたのはいつだっけ。今までずっとくっついたり離れたり、なんとなく側にあったのに、どこ行っちゃったんでしょう。
生麦事件碑で大通りからちょっと入って、静かな道になります。魚河岸通りなんて名前ついてるけど、昔の話だろうなあと思ってたらほんとに魚売ってました。地元ではみない種類のものがいろいろ居て面白いです。にょろっとしっぽの生えたような変な貝とか、あれどうやって食べるんだろう?
その先の、レトロで有名鶴見駅も、見ていけばよかったけど、歩く方が楽しくて素通りしてしまいました。休憩でのんだカフェモカが美味しかった
その先、市場村一里塚は、跡が残っている最後の一里塚です。木はないけど。
川崎宿は飲屋街のど真ん中を通過、六郷橋から先はひたすら大通りを歩きます。かなりお腹がすいていたんですが、意外と食べ物屋さんが無いのに困りました。いたしかたなく、定番のコンビニ梅おにぎりとおでん
まあ、美味しいんですけどね。
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藤沢駅前の宿を出て、藤沢橋から出発しました。道場坂を上って、戸塚まではひたすら一号線です。途中吉野家で朝ご飯。戸塚まで特筆すべきこともない道程です。まあ幸せなんですけど。
東戸塚でなぜか住宅街に入っていきます。住宅街に入ると、道を間違ったんじゃないかと不安になるのですが(あんまり通らないです)ご親切に看板がたっていました。
陸橋を超えると、何故かそこからは妙に長閑な道になります。幹線道路をはさんだ左には高層マンションが建っているのに、なぜかこっち側は梨畑があり無人市があり…思えば箱根からこっち、こんな景色久しぶりです。トノサマガエルの死体を幼稚園ぐらいの子が踏んづけちゃって、その母親がドン退きしてました。
その先の一里塚が、木が現存する最後の一里塚です。
東海道を歩いて変わった事。実はこの記事は年明けに書いているのですが、箱根駅伝を見るようになった。
自分が来た道がうつりはしないかと。今まで関東なんて未知の世界で保土ケ谷なんて読み方も分からない。何処走ってんだかまったく分からなかったので興味がなかったのですが。
特に、権太坂とか聞くともうテレビを見ずにはいられない。急勾配の上り下りで、確かに此処を走っていくのはきついなあ…とは思うのです。
しかし昔は此処でいきだおれる人が沢山居たとのことですが…それはいったいどんだけぎりぎりまでがんばっちゃったの!?って気がします。昔のほうが整備されてなくて坂もきつかったとしても、そこまでか??ご飯がたりなかったのですか。
天王商店街は人がいっぱいで、焼き鳥とかコロッケとかいいにおいがそこら中からして、楽しいのですが、残念ながらこの時お腹いっぱいでした…
自分が来た道がうつりはしないかと。今まで関東なんて未知の世界で保土ケ谷なんて読み方も分からない。何処走ってんだかまったく分からなかったので興味がなかったのですが。
特に、権太坂とか聞くともうテレビを見ずにはいられない。急勾配の上り下りで、確かに此処を走っていくのはきついなあ…とは思うのです。
しかし昔は此処でいきだおれる人が沢山居たとのことですが…それはいったいどんだけぎりぎりまでがんばっちゃったの!?って気がします。昔のほうが整備されてなくて坂もきつかったとしても、そこまでか??ご飯がたりなかったのですか。
天王商店街は人がいっぱいで、焼き鳥とかコロッケとかいいにおいがそこら中からして、楽しいのですが、残念ながらこの時お腹いっぱいでした…
あと七キロ!なんて短い距離。2時間あれば余裕で着いてしまうじゃない?
品川には見送るように、色々な宿場からきた松が植えられています。土山…一番きつかったわ
昔のままの道幅の商店街、道沿いにたくさん神社やお寺が残っています。こんな都会なのに、旧道の匂いがする。最初のお寺によって、日本橋まで無事たどり着くよう祈願してきました。ここで事故ってたどり着けなかったら無念すぎます。東海道に新しい碑がひとつふえるよ…
商店街を抜けると15号線に合流し、ここから高層ビルたちならぶ大都会へひたすらまっすぐです。道一つ隔てて別世界のようです。
通勤時間帯の人ごみのなかちょっとういていた。東京タワーが右に見えて、東京きたんだなあと実感しました。あんまり来た事ないのですよね、東京。写真を撮るときいかにもおのぼりさんでちょっと恥ずかしかったです。文字通りなんだけどね。
両サイド敷居の高そうなお店が建ち並んで、もういくらも距離のない事を実感しました。2時間あればつくと思ってましたが、自然歩みがのろくなっているみたいです。品川をでて既に3時間たちました。
遠く道の先の、緑の橋がだんだん近づいて来て、それが日本橋だと分かっても不思議と感動とかはなかったです。なんだか、そこが終わりのような気がしなくて、終わりの感動というよりは、一歩一歩が愛しい気持ち。こんなに長い道だったのにまだまだ途中のような気がするのです。こころの準備ができていないのか。
橋の下に到着したとき、後ろを振り返りました。ここから京都まで、私の足跡がずうっと続いてるんだなあ…
おわりに
思いつきで始めた旅に、こうしてちゃんと終わりが来るのはなんだか不思議な感じです。夜明けの三条、土砂降りの土山、鈴鹿の濃い霧、亀山へ至る道の長閑な事、鳴海でまた大雨にふられてリュックが水を通してしまった事、翌日の晴天と夕暮れに光る柿や稲穂、細くうねるみち、日坂の急勾配に長く延びる影、真夏の日差しに焼けるアスファルト、地図を飛ばされた事、駿河湾と富士山の美しさ、箱根の長く暗く険しい事、退屈な国道沿いを見守る道祖神…いままでの景色が走馬灯のように思い出されました。何でもない景色が鮮明に焼き付いています。
なんだか終わりはきたはずなのに、私の気持ちはまだ道の途中に居ます。多分、次の旅が必要なんでしょう。でも、ひとまずこの道にさようならをしようと思います。
道端の全ての人と神様、ありがとう。
五十三次
プロフィール
HN:
のじ
性別:
非公開
自己紹介:
にこにこぷんで育ちノストラダムスに本気で怯えたぐらいの年。
山陽道はじめました。
たびのじん 山陽へ も宜しく。
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